火星の運河と火星人ブームはなぜ起きたのか、ローウェルとスキャパレッリ

100年あまり前、「火星には運河があり、火星人が水を引いている」という話が、新聞や講演で広く語られました。言い出したのはSFではなく、天文台を持つ天文学者でした。なぜ多くの人が信じたのか。科学史の研究と、当時の論文・探査機の記録からたどります。
3行でわかる
- 1877年、火星が地球に大きく近づいたとき、イタリアのスキャパレッリが線の多い火星の地図を描いた。線はイタリア語で「カナーリ(canali)」と呼ばれた。
- 米国のローウェルは1894年に火星を見るための天文台を開き、線は火星人が極の雪解け水を運ぶ運河だと唱えた。科学史家のレーンは、言葉の誤訳より「網の目の地図」が人を信じさせたと論じている。
- 1903年の実験で、細かい点の集まりが線に見えることが示された。1965年のマリナー4号は運河が描かれた場所の上を通り、運河は写らなかった。
01 わかっていること火星の運河は本当にあったの?
火星に運河はありません。1965年に探査機マリナー4号が、運河が描かれていた場所の上を通って撮影しましたが、運河は写りませんでした。1971〜72年のマリナー9号は火星全体を撮影しています。
運河の線は、望遠鏡で見た火星をスケッチし、それを地図にまとめる中で生まれました[1]。望遠鏡の像はぼやけて揺れるため、細かい模様は見分けにくかったのです。
一方で、火星にはかつて水が流れた跡の谷が本当にあります。これは運河の線とは別のもので、くわしくは火星に水はあったのかにまとめています。
02 どうやってわかったのか運河の話はどうやって広まり、どう終わったの?
スキャパレッリの地図の線を、ローウェルが火星人の運河だと唱え、新聞や講演の地図が広めました。1903年の実験で線は目の錯覚でも見えるとわかり、1909年以降は大きな望遠鏡と写真で支持を失いました。
わかっているレーン(2012年、Rheinsprung 11)・スキャパレッリの地図[1]
1877年、スキャパレッリはミラノの天文台で、最接近のあとも7か月観測を続け、全体図31枚と100枚以上のスケッチから、線の多い地図を作りました。1877〜1884年、ほかの有名な天文学者には線が見えず、1886年にフランスとベルギーで初めて確かめたとされました。
どうやって: 科学史家のレーンが、当時の地図・論文・新聞を調べてまとめました。同じ年にイギリスのグリーンが描いた、ぼかしの多い自然な地図とは大きく違っていました。
わかっているレーン(2012年)・ローウェルの運河説[1]
ローウェルは1894年に火星を見るための天文台を開き、最初の観測期だけで116本の運河を地図に加えました。火星は砂漠で、火星人が極の雪解け水を運河で運び、岸に植物が育って線に見えると唱えました。
どうやって: レーンによると、だれも望遠鏡で網の目の運河を一度に見てはいません。何百枚ものスケッチを木の地球儀に書き写し、写真に撮って平らな地図に直すことで、網の目ができあがりました。
わかっているEvansとMaunder(1903年、Monthly Notices of the Royal Astronomical Society)[4]
火星を知らない12〜14歳の少年たち(ふつう20人)に、細かい点やしみだけを描いた円盤を写生させると、離れた席の少年ほど、そこにない線を描きました。
どうやって: ロンドン・グリニッジの学校で、直径約8〜16センチの円盤を、約4.6〜19メートル離れた席から描かせました。著者らは、運河の多くは「小さすぎて1つずつ見分けられない細かい模様を、目が線につなげたもの」と結論しました。
わかっているLeightonら(1965年、Science)・NASA[5][6]
マリナー4号は1965年7月14〜15日に火星のそばを通り、全体21枚と一部1枚の写真を送りました。写っていたのはたくさんのクレーターで、運河はありませんでした。
どうやって: 火星の近くを通り過ぎながらテレビカメラで撮影しました。写ったのは火星の表面の約1%ですが、運河が描かれた場所の上も通っていました[6]。
1907年、ローウェルは新聞で「火星は今、知性があり建設する生命のすみかだ」と語っています[6]。ただしレーンによると、同じ1907年の写真探検で撮れた火星の写真は小さく粗く、地図ほどの細かさがありませんでした[1]。1909年、フランスのムードン天文台の大きな望遠鏡で観測したアントニアジは、運河がないと報告しました[1]。
運河の話がなぜこれほど人気を得たのかについて、レーンは2005年の論文で、当時できたばかりの学問だった地理学とのつながりが大きな力になったと論じています[2]。地図を作り、土地を名付けるという探検の語り方が、火星にも当てはめられたのです。
03 数字と例えでいうと運河の話は何年続いたの?
1877年の地図から、1965年のマリナー4号まで約90年です。科学の世界では1909年ごろから下火になりましたが、運河の地図は1950年代まで天文学の教科書に載り続けました。
| 年 | できごと | 数字でいうと |
|---|---|---|
| 1877年 | スキャパレッリが線の多い火星の地図を作る[1] | 全体図31枚、スケッチ100枚以上 |
| 1886年 | フランスとベルギーで線が確かめられたとされる[1] | 最初の地図から9年後 |
| 1894年 | ローウェルが火星を見るための天文台を開く[1] | 最初の観測期で運河を116本追加 |
| 1903年 | 少年たちの写生実験[4] | 12〜14歳、約4.6〜19メートル離れて描く |
| 1909年 | アントニアジが運河はないと報告[1] | 最初の地図から32年 |
| 1965年 | マリナー4号が火星を撮影[5][6] | 写真22枚(1枚は一部)、表面の約1% |
| 1971〜72年 | マリナー9号が火星を回りながら撮影[7] | 写真7329枚で火星全体 |
距離と大きさは、論文のフィートとインチをメートルとセンチに直しました(1フィート約0.3メートル、1インチ約2.54センチ)。
04 まだわかっていないこと火星の運河について、まだ決着していないことは?
運河がないことは決着しています。まだ議論があるのは、なぜあれほど多くの人が信じたのかという歴史の説明です。「誤訳のせい」という定番の説明に、科学史家は異論を出しています。
- 信じた理由は「誤訳」か「地図」かイタリア語のcanaliは「水路・溝」の意味で、英語のcanal(人が掘った運河)と訳されたことが火星人説を生んだ、とよく説明されます[6]。レーンは、多くの歴史家がこの誤訳を理由に挙げてきたと書いた上で、人を信じさせたのは言葉より網の目の地図の見た目だったと論じています[1][3]。
- 観測者ひとりひとりが何を見ていたのか1903年の実験は、運河の「多く」は目の働きで説明できるとしましたが、境目のぼかしが線に見えた場合もあると書いています[4]。昔の観測者が一晩一晩なにを見ていたのかは、今となっては確かめられません。
- 火星に生き物はいたのか運河はありませんでしたが、昔の火星に生き物がいたかどうかは、今もわかっていません。探査車の手がかりは火星に生命はいたのかで見ています。
05関連する記事
06よくある質問
火星に運河はあるの?
ありません。1965年のマリナー4号は運河が描かれた場所の上を通りましたが、写ったのはクレーターでした。1971〜72年のマリナー9号は7329枚の写真で火星全体を撮影しています。昔の運河は、望遠鏡の見え方とスケッチの地図から生まれたものでした。
火星の運河は誤訳から生まれたって本当?
半分は本当です。スキャパレッリが使ったイタリア語のcanaliは「水路・溝」の意味で、英語では人工の運河を思わせるcanalと訳されました。ただし科学史家のレーンは、人を信じさせたのは言葉より、網の目のように描かれた地図だったと論じています。
ローウェルとはどんな人?
パーシヴァル・ローウェルは米国の天文学者で、1894年に火星を見るための天文台を開きました。火星は砂漠で、火星人が極の雪解け水を運河で運んでいると唱え、本や講演で広めました。
なぜ天文学者に線が見えたの?
1903年の実験では、細かい点やしみを描いた円盤を離れて見た少年たちが、そこにない線を描きました。著者らは、運河の多くは小さすぎて見分けられない模様を目が線につなげたもので、観測者はうそをついたのではなく、見えたとおりに描いたと結論しています。
出典
- Lane, K. M. D. (2012). Maps, Images, and Icons: Creating the Geography of Mars. Rheinsprung 11 – Zeitschrift für Bildkritik, Ausgabe 04. https://rheinsprung11.unibas.ch/fileadmin/documents/Edition_PDF/Ausgabe04/Thema_Maria_Lane.pdf
- Lane, K. M. D. (2005). Geographers of Mars: Cartographic Inscription and Exploration Narrative in Late Victorian Representations of the Red Planet. Isis 96, 477–506. https://doi.org/10.1086/498590
- Lane, M. (2006). Mapping the Mars Canal Mania: Cartographic Projection and the Creation of a Popular Icon. Imago Mundi 58, 198–211. https://doi.org/10.1080/03085690600687255
- Evans, J. E., Maunder, E. W. (1903). Experiments as to the Actuality of the "Canals" observed on Mars. Monthly Notices of the Royal Astronomical Society 63, 488–499. https://doi.org/10.1093/mnras/63.8.488
- Leighton, R. B., Murray, B. C., Sharp, R. P., Allen, J. D., Sloan, R. K. (1965). Mariner IV Photography of Mars: Initial Results. Science 149, 627–630. https://doi.org/10.1126/science.149.3684.627
- NASA Science. The Triumph of Mariner 4. https://science.nasa.gov/mars/triumph-of-mariner-4
- NASA Space Science Data Coordinated Archive. Mariner 9 (1971-051A). https://nssdc.gsfc.nasa.gov/nmc/spacecraft/display.action?id=1971-051A


