星座と星空

星座の神話はどこから来たのか、メソポタミアからギリシャへ

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星座が刻まれた天球を担ぐ古代ローマのアトラス像(ファルネーゼのアトラス)
Photo: Sailko / CC BY 3.0 / Wikimedia Commons
AIによる調査論文と公的機関の資料をAIが調べ、内容を確かめて整理しました(出典は末尾)。

ふたご座の2人は誰でしょう。ギリシャ神話のカストルとポリュデウケスと答える人が多いはずです。でも古い記録をたどると、ギリシャ最初の星の詩では2人に名前がなく、のちにはアポロンとヘラクレスとする書き手もいました。星座の神話は、何千年もかけて受けつがれ、書きかえられてきたものです。この記事では、今の88星座につながる西洋の星座の流れ(メソポタミアからギリシャへ)だけを扱い、中国やインドなど他の地域の星座は扱いません。

3行でわかる

  1. 黄道の12星座はメソポタミア(今のイラクのあたり)で生まれ、紀元前500年ごろまでに段階的に整った(Rogers 1998)。牛・ライオン・サソリの絵柄が美術に見られるのは紀元前3200年ごろからだが、星座として決まった時期はわかっていない。
  2. Rogers(1998)の見方では、ギリシャに伝わったのは黄道の12星座と、へび・からす・わし・魚の4つの動物の星座。農作業の暦を表す星座は、ほとんど伝わらなかった。
  3. ギリシャでは紀元前4〜3世紀の本と詩に星座がまとまり、プトレマイオスが紀元137年を基準に48星座の星表を残した。これが今の88星座のもとになっている。

01 わかっていること星座の神話はどこで生まれたの?

黄道の12星座といくつかの動物の星座は、ギリシャよりずっと前のメソポタミアで生まれました。ギリシャはそれを受けつぎ、自分たちの神や英雄の名前を当てていきました。どの神話を当てるかは、時代や書き手で変わっています。

Rogers(1998年)によると、古代バビロニアの星座には2つの役目がありました[1]。1つは神々とそのしるしを表す星座、もう1つは農作業の様子を表し、1年の農作業の暦になる星座です[1]。

いちばん古いと考えられるのは、牛・ライオン・サソリ、そして水を注ぐ神の星座です[1]。Rogersは、おうし座の牛をシュメールの人々の「天の牡牛」にあたると見ており、春分の目印だったとしています[1]。しし座のレグルスは、バビロニアでは「王」(シャッル)と呼ばれていました[1]。

Rogersによると、ギリシャに伝わったのは、神々のほうの星座が中心でした。黄道の12星座と、へび(うみへび座)・からす・わし・魚(みなみのうお座)の4つの動物は今の星図に残りましたが、農作業の星座はほとんど伝わりませんでした[1]。古い星の名前と今の星座の対応づけや、伝わった星座の数え上げは研究者によって読み方が分かれうるため、ここではRogersの見方として紹介しています。

02 どうやってわかったのかどうやって星座の歴史をたどったの?

メソポタミアの印章や境界石に彫られた絵、粘土板に書かれた星のリスト、ギリシャの本や星表を、時代順に比べてたどりました。2022年には、失われていたヒッパルコスの星表の一部も見つかっています。

有力な仮説Rogers(1998年、Journal of the British Astronomical Association)[1]

星座の絵柄は、紀元前3200〜前2100年ごろの絵文字のような美術に始まり、紀元前1350〜前1000年ごろの境界石の絵、紀元前1100〜前700年ごろの星のリスト「ムル・アピン」へと段階的に整いました。黄道の星座が最後にそろいました。黄道を12に等しく分けたのは紀元前600年ごろ、遅くとも紀元前475年より前とされます。

どうやって: 印章(粘土板に転がして模様をつける円筒)や境界石に彫られた動物・神々と、粘土板の星のリストを照らし合わせました。記録は欠けている部分が多く、読み方が決まりきらないところもあると、Rogers自身が書いています。

わかっているSchaefer(2006年、Scientific American)[4]

ギリシャの星座をいちばん古く書き残したのは、エウドクソスの本(紀元前366年)と、それをもとにしたアラトスの詩『ファイノメナ』(紀元前275年)です。これらの本の時点で、星座はすでにでき上がっていました。

どうやって: 残っているギリシャの文献を比べました。エウドクソスの本そのものは失われ、アラトスの詩を通して内容がわかっています。

わかっているVerbunt・van Gent(2012年、Astronomy & Astrophysics)[2]

プトレマイオスの『アルマゲスト』の星表は、紀元137年7月20日を基準にした星表で、古代の終わりから中世まで星の位置のもとになり、西洋の星座のもとにもなりました。48星座に分けて1028の項目が並び、星の位置のずれは、標準的な幅で約0.4〜0.5度でした。

どうやって: 星表を電子データにして、人工衛星ヒッパルコスが測った今の星の位置と1つずつ比べました。

有力な仮説Gysemberghら(2022年、Journal for the History of Astronomy)[3]

古代ギリシャの天文学者ヒッパルコスがつくった星表は失われていましたが、別の文章で上書きされた写本の下から、その一部が読み取れました。プトレマイオスの星表は、ヒッパルコスの星表だけを写したものではなかったことも確かめられました。

どうやって: いろいろな波長の光で写本を撮影する方法(マルチスペクトル撮影)で、消された文字を浮かび上がらせました。残っている数字からは、ヒッパルコスの星表は1度以内の正確さだった可能性があり、プトレマイオスより正確だったかもしれないとされています。

03 数字と例えでいうと星座の歴史を年表にすると?

牛・ライオン・サソリの絵柄が美術に見られるのは紀元前3200年ごろからで、今まで約5200年あります(星座として決まった時期はわかっていません)。これを1年に縮めると、ギリシャの星の詩は7月下旬、プトレマイオスの星表は8月下旬、IAUの88星座は12月24日ごろにあたります。

時代できごと約5200年を1年に縮めると(計算)
紀元前3200〜前2100年ごろ牛・ライオン・サソリなどの絵柄が美術に見られる(星座として決まった時期は不明)[1]1月1日〜
紀元前1100〜前700年ごろ星のリスト「ムル・アピン」[1]5月下旬〜
紀元前600年ごろ(遅くとも前475年より前)黄道を12に等しく分ける[1]7月上旬
紀元前366年/前275年エウドクソスの本/アラトスの詩[4]7月中旬/7月下旬
紀元137年プトレマイオスの星表(48星座、1028項目)[2]8月下旬
1922年IAUが88星座の名前を決める[5]12月24日ごろ

絵柄が美術に見られ始める紀元前3200年(星座ができた年ではありません)から2026年までを5225年として計算しました(紀元0年はないので1を引いています)。今の88星座のうち50はプトレマイオスの48星座から来ています(88星座は誰がどう決めたのか)。

星座メソポタミアではギリシャ以降では
おうし座シュメールの「天の牡牛」(Rogersの同定)。春分の目印[1]角が前を向く今の姿になったのは古典ギリシャから[1]
ふたご座「大きなふたご」。門を守る2人の神[1]アラトスの詩では名前なし。エラトステネスはカストルとポリュデウケス、ヒュギヌスとプトレマイオスはアポロンとヘラクレス[1]
おひつじ座ムル・アピンでは「雇われた農夫」[1]のちに羊(牡羊)に置きかわった[1]
てんびん座サソリのはさみ。ムル・アピンでもはさみと呼ばれた[1]ギリシャの時代まで「はさみ」と呼ばれ、のちに天秤に[1]
おとめ座ムル・アピンでは女神シャラ。麦の穂を持つ[1]ギリシャでは実りの女神デメテル[1]
いて座弓矢を持つケンタウロスの姿が、紀元前2千年紀の境界石に[1]ギリシャの古い絵はケンタウロスでなくサテュロス(半分ヤギ)。のちにケンタウロスに[1]

かみのけ座も、エラトステネスとヒュギヌスがエジプトの王妃ベレニケの髪だと書いたことから今の名前になりました[1]。日本で星がどう呼ばれてきたかは、すばる・昴とは何かで紹介しています。

04 まだわかっていないこと星座の起源で、まだ謎なのは?

いちばん古い星座がいつ決まったのか、いて座やうお座が何を表していたのかは、まだわかっていません。ヒッパルコスの星表の全体も、復元の途中です。

05関連する記事

06よくある質問

星座の神話はギリシャ神話が元なの?

黄道の12星座などの絵柄は、ギリシャより前のメソポタミアで生まれました。ギリシャはそれを受けつぎ、神や英雄の名前を当てていきました。ふたご座の2人のように、当てられた神話が時代や書き手で違う星座もあります。

いちばん古い星座はどれ?

おうし座・しし座・さそり座、そして水を注ぐ神のみずがめ座が、いちばん古いと考えられています。牛・ライオン・サソリは紀元前3200年ごろからのメソポタミアの美術に見られますが、星座としていつ決まったかはわかっていません。

プトレマイオスの48星座とは?

2世紀のギリシャの天文学者プトレマイオスが『アルマゲスト』にまとめた48の星座です。紀元137年を基準にした星表で、1028の項目が並んでいます。今の88星座のうち50は、この48星座から来ています。

ふたご座の2人は誰?

ギリシャで最初に星座を詩にしたアラトスの作品では、2人に名前がありませんでした。エラトステネスはカストルとポリュデウケスとし、ヒュギヌスとプトレマイオスはアポロンとヘラクレスとしています。

出典

  1. Rogers, J. H. (1998). Origins of the ancient constellations: I. The Mesopotamian traditions. Journal of the British Astronomical Association 108, 9–28. https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/1998JBAA..108....9R/abstract
  2. Verbunt, F., van Gent, R. H. (2012). The star catalogues of Ptolemaios and Ulugh Beg. Astronomy & Astrophysics 544, A31. https://doi.org/10.1051/0004-6361/201219596
  3. Gysembergh, V., Williams, P. J., Zingg, E. (2022). New evidence for Hipparchus’ Star Catalogue revealed by multispectral imaging. Journal for the History of Astronomy 53, 383–393. https://doi.org/10.1177/00218286221128289
  4. Schaefer, B. E. (2006). The Origin of the Greek Constellations. Scientific American 295(5), 96–101. https://doi.org/10.1038/scientificamerican1106-96
  5. International Astronomical Union. The Constellations (Astronomy FAQs). https://www.iau.org/IAU/IAU/Astronomy-FAQs/Constellations.aspx
  6. 国立天文台(2022). 88星座と国際天文学連合. https://www.nao.ac.jp/news/blog/2022/20220809-constellation.html