ブラックホール

光も出られない星を最初に考えた人は誰か、ミッチェルからシュヴァルツシルトまで

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ブラックホールと伴星の想像図
Photo: NASA/CXC/M.Weiss / Public domain / Wikimedia Commons
AIによる調査論文と公的機関の資料をAIが調べ、内容を確かめて整理しました(出典は末尾)。

「ブラックホール」という名前が広まったのは1968年です。でも、重力が強すぎて光が出られない星を考えた人は、それより180年以上前にいました。イギリスの牧師で科学者のジョン・ミッチェルです。この記事では、原典と科学史の論文で確かめられる範囲で、その考えがどう受けつがれたかをたどります。

3行でわかる

  1. 1783年、ジョン・ミッチェルは「太陽と同じ密度で直径が太陽の500倍より大きい星からは、光が出てこられない」と計算した。1784年に王立協会の雑誌に載った。
  2. 1796年、フランスのラプラスも同じ考えを本に書き、1799年に計算を発表した。2人ともニュートンの重力と「光の粒にも重力がはたらく」という考えで計算した。
  3. 1916年のシュヴァルツシルトの解、1939年のオッペンハイマーとスナイダーの計算を経て今の考えになった。「ブラックホール」という名前は1964年に雑誌に初めて載り、1968年のウィーラーの記事で広まった。

01 わかっていること光も出られない星を最初に考えたのは誰?

記録に残る最初の人は、イギリスのジョン・ミッチェルです。1783年に書いた論文で、とても大きな星では重力が強すぎて、光が戻ってきてしまうと計算しました。この論文は1784年に王立協会の雑誌に載りました。

ミッチェルの論文の本来のテーマは、星までの距離や重さを、二重星(たがいに回る2つの星)の動きから求める方法でした[1][2]。光が出られない星の話は、その計算から出てきた「おまけ」の部分です[2]。

当時は、光は小さな粒で、ほかの物と同じように重力に引かれると考える人がいました。ミッチェルはこの考えにもとづき、星から飛び出した光の粒が引き戻されるかどうかを計算しました[1]。

02 どうやってわかったのかミッチェルからブラックホールまで、どうつながった?

ミッチェルとラプラスはニュートンの重力で「光の粒が戻ってくる星」を考えました。1916年にアインシュタインの理論で解が見つかり、1939年に重い星がつぶれる計算が出て、今のブラックホールの考えになりました。

わかっているMichell(1784年、Philosophical Transactions of the Royal Society)[1][2]

太陽と同じ密度の球で、半径が太陽の500倍を超えると、遠くから落ちてきた物の速さが光より速くなる。だから、そこから出た光はすべて戻ってきてしまう、と書きました。見えなくても、まわりを回る明るい星の動きから、そこにあると推定できるかもしれないとも書いています。

どうやって: 図を使った幾何学の方法で、表面から脱出するのに必要な速さを求めました。論文は1783年5月に書き上げられ、友人のヘンリー・キャヴェンディッシュが1783年12月から1784年1月の王立協会の会合で3回に分けて読み上げました[2]。

わかっているLaplace(1796年の本『宇宙体系の解説』、1799年の論文)[2]

ラプラスは、地球と同じくらいの密度で直径が太陽の250倍の星は、光が表面から出られないと書きました。「宇宙でいちばん大きな天体は、その大きさのせいで見えないのかもしれない」という文です。

どうやって: 1796年の本では計算をつけず、短く書いただけでした。天文学者フォン・ツァッハに頼まれて、1799年にドイツの雑誌で計算を発表しました。科学史の研究では、ミッチェルとは別に考えたとされています[2]。

わかっているSchwarzschild(1916年、プロイセン科学アカデミー報告)[3]

アインシュタインの一般相対性理論(重力を空間と時間のゆがみとして表す理論)が出た直後、1つの重い点のまわりの重力を表す式の答え(解)を見つけました。この解に出てくる特別な半径が、今は「シュヴァルツシルト半径」と呼ばれています。

どうやって: 一般相対性理論の方程式を、球の形で時間が変わらない場合について解きました。英訳は2003年に General Relativity and Gravitation 誌に載っています[3]。この半径の内側が何を意味するのかは、その後何十年も議論されました。

わかっているOppenheimer・Snyder(1939年、Physical Review)[4]

燃料を使い切った十分に重い星は、どこまでもつぶれ続けると計算しました。外から見ると、星はシュヴァルツシルト半径に近づくほど光が赤くなり、出られる光の向きもせまくなります。

どうやって: 星の中の圧力を無視するという単純な仮定をおいて、つぶれていく星を一般相対性理論で計算しました。1958年にはフィンケルシュタインが、この半径は「一方通行の膜」で、中から外へは何も出られないと示しました[5]。

わかっている名前の由来: Herdeiro・Lemos(2018年、Gazeta de Física)[6]

「ブラックホール」という言葉は、1964年1月の科学ニュース誌の記事で初めて印刷されました。1968年に物理学者ジョン・ウィーラーが記事の見出しに使ったことで、世界中に広まりました。

どうやって: 科学史の論文が、当時の雑誌や証言をたどりました。ウィーラーは1967年12月29日の講演でこの言葉を使い、翌1968年に American Scientist 誌などに載りました。それより前に、物理学者ロバート・ディッキーがこの言葉を使っていたという証言もあります。

03 数字と例えでいうとミッチェルの「見えない星」はどれくらい大きい?

今の数字で計算し直すと、太陽と同じ密度なら半径は太陽の約485倍で、ミッチェルの「500倍」とほぼ同じです。重さは太陽の約1億倍で、そんな重さのブラックホールと大きさがちょうど同じになります(計算)。

考えた人光が出られない条件今の数字で確かめると
ミッチェル(1783年)太陽と同じ密度で、半径が太陽の500倍より大きい[1]太陽の表面からの脱出速度は秒速約618キロ。光の速さはその約485倍なので、半径約485倍で光の速さに届く(計算)
ラプラス(1796年)地球と同じ密度で、直径が太陽の250倍[2]地球の密度は太陽の約3.9倍。そのぶん小さくてよく、約245倍で光の速さに届く(計算)
ミッチェルの星の重さ論文には書かれていない半径485倍で密度が同じなら、重さは485の3乗で太陽の約1億1000万倍(計算)
シュヴァルツシルト半径(太陽の重さ)一般相対性理論で決まる約3キロ(計算)。太陽をこの大きさまで縮めると、光も出られなくなる

ニュートンの重力で「脱出速度=光の速さ」となる半径は、たまたま一般相対性理論のシュヴァルツシルト半径と同じ式になります。ただし意味はちがいます。ミッチェルの星では光はいったん飛び出してから戻りますが、ブラックホールでは境目の内側から外へは何も出られません[5]。

04 まだわかっていないこと歴史と中身で、まだはっきりしないことは?

「ブラックホール」という言葉を最初に口にしたのが誰かは、はっきりしていません。また、ブラックホールの境目の内側で何が起きているのかは、今もわかっていません。

05関連する記事

06よくある質問

ブラックホールを最初に予言したのは誰?

記録に残る最初の人は、イギリスのジョン・ミッチェルです。1783年に、太陽と同じ密度で半径が太陽の500倍より大きい星からは光が出てこられないと計算し、1784年に王立協会の雑誌に載りました。1796年にはフランスのラプラスも同じ考えを書いています。

ミッチェルの「暗い星」と今のブラックホールは同じもの?

同じではありません。ミッチェルはニュートンの重力で、光の粒がいったん飛び出してから引き戻される大きな星を考えました。今のブラックホールは一般相対性理論にもとづく考えで、境目の内側からは光も含めて何も外へ出られません。

「ブラックホール」という名前は誰がつけたの?

1968年に物理学者ジョン・ウィーラーが記事で使って広まりました。ただし言葉が初めて印刷されたのは1964年1月の科学ニュース誌の記事です。最初に口にしたのが誰かははっきりせず、ロバート・ディッキーだったという証言もあります。

シュヴァルツシルトは何をした人?

ドイツの天文学者カール・シュヴァルツシルトは、1916年にアインシュタインの一般相対性理論の方程式を解き、重い点のまわりの重力を表す答えを見つけました。この答えに出てくる半径が、ブラックホールの大きさを表すシュヴァルツシルト半径です。

出典

  1. Michell, J. (1784). On the means of discovering the distance, magnitude, &c. of the fixed stars, in consequence of the diminution of the velocity of their light. Philosophical Transactions of the Royal Society of London 74, 35–57. https://doi.org/10.1098/rstl.1784.0008
  2. Montgomery, C., Orchiston, W., Whittingham, I. (2009). Michell, Laplace and the origin of the black hole concept. Journal of Astronomical History and Heritage 12, 90–96. https://doi.org/10.3724/SP.J.1440-2807.2009.02.01
  3. Schwarzschild, K. (1916/2003). On the Gravitational Field of a Mass Point According to Einstein's Theory(英訳、Golden Oldie). General Relativity and Gravitation 35, 951–959. 原典: Sitzungsberichte der Preussischen Akademie der Wissenschaften (1916), 189–196. https://doi.org/10.1023/A:1022971926521
  4. Oppenheimer, J. R., Snyder, H. (1939). On Continued Gravitational Contraction. Physical Review 56, 455–459. https://doi.org/10.1103/PhysRev.56.455
  5. Finkelstein, D. (1958). Past-Future Asymmetry of the Gravitational Field of a Point Particle. Physical Review 110, 965–967. https://doi.org/10.1103/PhysRev.110.965
  6. Herdeiro, C. A. R., Lemos, J. P. S. (2018). The black hole fifty years after: Genesis of the name. Gazeta de Física 41(2), 2. https://arxiv.org/abs/1811.06587